育児や子供の教育...母親であるあなた一人だけで頑張っていませんか?
それはシングルマザーに限ったことではありません。
自分しか子供を守れない。子供のことをわかってあげられるのは自分だけだと考えていたら...
実は、それが我が子の成長を妨げている...かも!
先日筆者の妹が平安神宮にて挙式を挙げました。
その日はありがたいことに晴天でした。
澄んだ青空と、平安神宮の鮮やかな朱赤のコントラストが大変印象的でした。
その中に美しく立派にたたずむ妹の姿が今でも目に焼き付いています。
この日のために、海外在住の兄家族もはるばる帰国したのでした。
1年半ぶりの再会でした。
筆者の娘4歳と兄夫婦の娘は同じ年。
兄夫婦の娘は、日本の父とイタリア人の母の間に産まれたハーフ。現在3人はニューヨークに在住。
言語はというと…
姪は幼くして3カ国語をマスターし始めています。
その言語習得の早さには大人も脱帽...
ニューヨークでは週一日だけ日本語学校に通い、
(そこは、日本語以外しゃべってはいけないという学校。)
母親とイタリア語で対等に話し、
両親の共通語である英語を聞きながら...
そんな環境で育っています
筆者の娘は上手に日本語を話せるようになった姪と、日本の童謡を一緒に歌って遊ぶのでした。
筆者の娘は発達遅滞があり、約1年程の遅れがあると主治医に言われています。
発達支援の園に通い出してから、人とのコミュニケーションもだいぶ上達してきたのでした。前回娘と姪が会った1年半前は、娘はまだ言葉が出ていませんでした。今回は、メイの達者な日本語ほどではないけれど、娘も成長したなあと感じるのでした。
そんな娘と姪だから、
比較対象になることはなく、
姪の圧倒的な迫力と知能に娘はよい刺激を受けているのでした。
筆者もまた、
兄夫婦からよい刺激を与えてもらえるのでした。
姪もまた一人っ子のため、兄弟のように遊べる筆者の娘と息子と一緒に遊ぶことがとても楽しいようでした。
お互いがもう少し近くに住んでいたらよかったのになあ…
でも、もしかしたら...
離れていたおかげで気づかされたのかもしれない。そんな1つの出来事が起きました。
兄家族が今回、日本に滞在するのはわずか1週間。
京都に数日宿泊後、残りの数日は実家に滞在。
その間、筆者は子供2人を連れて実家に泊まりで遊びに行ったのでした。
翌日、兄夫婦が県外の祖母に会いに行くため早朝から外出することになったため、筆者は母と子供達と姪と一緒に留守番をしました。姪が寂しがってしまわないか心配でしたが、
「パピーとマミーはヒイ婆バの家に行った」
と、姪の方から話してきました。
朝起きたときに姪がパニックにならないよう
昨晩、姪の母親が言い聞かせたんだそう。
何事も、言葉で話して何度も言い聞かせるんだそう。
さらに驚いたことに...姪は両親が不在の中、終始日本語だけで話をしているのでした。
ただただ関心するばかりでした。そして、共に過ごせる貴重な時間を噛み締めるように素敵な留守番時間を過ごしたのでした。
兄夫婦が戻った直後、姪は安堵したかのように母親とイタリア語を話し始めました。しばらくの間ずっとマミーとお話をしていました。
きっと今日の出来事をたくさん話したかったんでしょう。
その晩、皆で夕食を囲んでいたときのこと。
明日ニューヨークに帰るということ、
筆者の娘は知っているの?という兄夫婦からの問いかけに...
娘にはまだ理解が難しい...と筆者は答えました。
兄嫁はとても残念そうな表情をしていました。
それでも私は娘にそういう未来の話や遠い場所の理解はまだできないものと思っていたのでそれを話そうとも思いませんでした...
その翌日兄夫婦はニューヨークへと帰って行きました。
筆者は別れがとても悲しかったけれど、
筆者の子供達はそれを理解したのかどうか
1歳半の下の子にはまだわかるまい…
上の子も下の子もケロッとした表情で、普段と何ら変わらない生活を送っていました。
その後、筆者は兄夫婦とメールでやり取りをしました。
家族、兄弟が久しぶりに全員集まれてとても嬉しかったということ、
久々に子供達の成長を間近で見れてよかったということ
などの言葉を交わし...
そして、最後に兄夫婦からこんな言葉を寄せられたのでした。
兄家族が帰国することをまだ理解が出来ないと言っていたけど、
筆者の娘は、きっと筆者が思ってる以上に言葉を理解しているよ。
もっと積極的にいろんな話をしてあげてもいいと思うよ
と…
言葉の理解や発語が遅れていた娘
なんとか同年代の子供たちについて行かせたい一心で、熱血育児を行っていた時期もありました。
話して説明をしても
理解ができなかった娘...
熱を入れる程、応えてくれない虚しさで
こちらもまた意気消沈する
娘のペースに合わせて気楽にやって行こう…
と、しばらく肩の力を抜くことにしました。
きっと娘にはわからないだろう...
娘はまだ出来ないだろう...
いつしか、そう思うことが癖みたいになっていて
夫は仕事で不在がちのワンオペ育児。
まだ手のかかる下の子の方ばかりに気が行ってしまい
そんな自分自身の考えに疑問を持つ余裕すら持てず、
自分にとっての楽な方法を選んでいたのかもしれない。
やらせてみることもしないで、初めから諦めていた...
なんだか、親として...少し恥ずかしくなりました。
1年半ぶりの兄家族との再会。
兄夫婦は娘の成長をとても関心していた。
娘のことを冷静に読み取って、そして...気づいて、教えてくれた。
感謝以外の言葉はみつかりませんでした。
話をして解らせてあげること。
それが娘にとって苦手なものだとばかり思っていましたが、
先に音を上げていたのは......私だったということに。
長い時間一番側に居るがゆえに陥ってしまったことかもしれません。
母親が話しかけてあげなければ、
言語力が発達するわけがありませんでした。
言葉の理解が遅い分、人一倍教え込まなくてはならないかもしれないけれど、
常日頃の積み重ねにあるということを教訓として受け止めることができました。
兄夫婦が最も私に伝えたかったことは、
育児は誰しもが苦労しているということ。
発達障害を持った子供の親だけが大変なんじゃないんだ。
みんなそれぞれいろんな悩みを持っているということ。
そう言葉にはしないけれど、優しい言葉で伝えてくれたもんだ...としみじみ感じます。
兄家族は遠い異境の地で、側に身内も居ない状態で
娘がすべての言語を身につけられるよう
兄夫婦が頑張っているからなんだ...
娘に発達遅延があると診断されてから、手探りの子育てにさまざまな不安と葛藤がありました。
姪と、姪のパパとママが明日遠いところに帰ってしまうということ…
今の娘にはもしかしたら理解出来たかもしれない。
それから娘にいろんな言葉で話しかけて、問いかけて数日が経ちました。
娘の言葉は明らかに増えてきました。
自分だけでは気づいてあげられなかったこと…
やはり子育ては自分一人でやるものではなく、
家族やたくさんの人と関わりをもって共に成長していくものなんだと感じさせられました。
常に相手の考えていることを尊重し、家族のことを気にかけてくれている
兄夫婦の言葉だったからこそ受け入れることも出来たのだと思います。
離れていても、これからもお互いよい刺激を与え合える関係でいられるよう
親子共々こちらも着々と力をつけて行こうと思います。
育児は頑張りすぎて意固地になってしまうと、子供にとっての良い選択を誤ってしまう可能性も秘めています。
たぶん筆者は意固地になりやすい性格です。
我が子のことを思えば思うほど余計に...
相談出来る相手がいないと余計に...
辛い思いを抱え込みすぎると余計に...
人からのアドバイスを柔軟に受け入れ、受け答えられるようになることも親としての成長の一過程なんだと学びました。
常に頑張り続けるんじゃなくて、力を入れる時も力を抜く時、どちらも大切にしたいと思います。
どこかのだれかの子育ての参考になれば幸いです。