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モザイク型ダウン症はどんなふうに成長するの?!発育と成長プロセス

更新日:

3人兄弟の一番上のお姉ちゃんになりました(2020年1月)

モザイク型ダウン症の娘の発育と成長プロセス

我が子がダウン症のモザイク型だと診断されたら...

診断されて初めて、ダウン症にモザイク型というタイプがあることを知った方がほとんどではないでしょうか。

標準型ダウン症とどう違うの?モザイク型ダウン症はどんな風に成長するの?

 

モザイク型の子供を診察したことがないという小児科の先生もいらっしゃる中、専門的な情報はどこを探せば見つかるの?と不安に思っていた当時からもうすぐ10年。もし、今同じような診断で困惑されているママやパパの判断材料の一つになれたら...と思い、ダウン症もざいく型である我が子のこれまでの成長プロセスと現在の状況についてまとめました。

モザイク型ダウン症の娘の生い立ち

2011年8月生まれ(9歳の女の子)
正産期の38週にもかかわらず2250gと小さめで生まれました。

妊娠中は特に異常はなく、生まれた翌日にサチュエーションの数値(酸素を体内に取り込む値)が通常よりも低かったことから産婦人科から総合病院のNICUへと搬送されました。NICUの医師達によって先天性心疾患はすぐに発見されました。
小さな赤ちゃんが大きな担架に乗せられて救急車に運ばれて行く様は今でも忘れられません。

心疾患の病名は「房室中核欠損症(ぼうしつちゅうかくけっそんしょう)」というもの。(当時は別名:心内膜床欠損症(しんないまくしょうけっそんしょう)と伝えられましたが、最近は房室中核欠損症と呼ばれることが多いそうです。)
心臓の中心部にポッカリ穴が開いていて、形成されていないという診断でした。
まさか自分の子が心臓疾患を抱えて生まれて来るとは夢にも思わない、、、

さらに医師からは、

「ダウン症の可能性がある」と...

心臓疾患以上にショックを受けたのはその言葉でしたね。
心臓は手術をすれば助かるかもしれない。でも、染色体異常は一生もの。娘は結婚出来るのか?子供を産めるのか?一瞬にしてそのことが頭を駆け巡り、説明を聞いている間あふれ出てくる涙をこらえることはできませんでした。

房室中核欠損症(ぼうしつちゅうかくけっそんしょう)は...ダウン症のお子さんによく見られる疾患であることからその日すぐに染色体検査を勧められました。

検査の結果が出るまでの1ヶ月間がとても不安でたまりませんでした。

ダウン症とは?

ダウン症候群(別名:21トリソミー)

特徴としては...鼻が低く、顎が小さく、舌が厚く長い傾向、顔の中心部が成長しにくいため目尻がつり上がってしまうという特異的願貌が表れ、知的障害や内臓疾患を伴う傾向にあります。

1866年イギリスの眼科医ジョン・ラングドン・ハイドン・ダウンが論文でダウン症の特徴などを明らかにした。鼻が低く・目がつり上がっているなど...その他の特徴から「蒙古症(もうこしょう)」とも言われたのはこの頃。

最初は「目尻が上がっていてまぶたの肉が厚い、鼻が低い、頬がまるい、あごが未発達、体は小柄、髪の毛はウェーブではなくて直毛で薄い」という特徴を捉えて「Mongolism(蒙古人症)」または「mongolian idiocy(蒙古痴呆症)」と称され、発生時障害により人種的に劣ったアジア人のレベルで発育が止まったために生じると説明されていた。しかしダウンによるこの人種差別的な理論は、アジア人にもダウン症がみられることからすぐに破綻をきたしたhttps://ja.wikipedia.org/wiki/ダウン症候群

1959年フランス人のジェローム・ルジューヌが21番目の染色体が通常より1本多いことを発見しました。

1965年WHOによって「Down syndrome(ダウン症候群)」を正式名称とすることが決定された。

なぜその名称に決定?!
ダウン氏の差別的な見方がダウン症のイメージを悪くしているような気が...。正式名はジェローム氏からとってほしかったなあ...(個人的な意見)

我が子がダウン症だとなぜショックだと思ったのか

筆者が幼稚園に通っていた頃のこと、同じクラスにダウン症の男の子がいたのを覚えています。お母さんがずっとつきっきりでした。チョロチョロと歩き回って愛嬌のあるかわいい男の子という印象。それ以来ダウン症の方との接点はありませんでした。

ダウン症がどんな病気なのか、どんな性格なのか、内臓疾患があることなども知りませんでした。

今まで生きて来て、怖い思いをしたとか、不快な思いをしたことはないし、ダウン症の方に悪いイメージなんてなかった。

詳しい病状の知識がなくても、ダウン症はダウン症特有の顔つきになるということだけは知っていました。

我が子を健康体で産んであげられなかったというショックは大きいのですが、親の顔に似る以前にダウン症特有の顔が形成されてしまうという点がやはり最も辛く悲しく、そして悔しく感じるところだと思いました。

ダウン症は一目で見て分かる顔であるということ...そのことに親が慣れるまでは少し辛いこともあるかもしれません。

すれ違う人が、我が子の顔をジッと見てくることがあったりもします。

モザイク型の場合、他人から見たら、ダウン症に見えるのか...?見えないのか...?気にし出したらキリがない。親の心の問題でもあったりします。

でも、そのうち慣れる時は来ます。ダウン症特有の顔つきといえど、やっぱりママとパパの遺伝子。似ているところはたくさんあります。そして、愛してやまない存在になります。

 

最近は時折ダウン症のお子さんと接っする機会もあったり、そして実際にモザイク型の我が子を育ててみて思うことは...

「ダウン症の育児って悪いものではないよ!」って人に伝えたい衝動にかられる時があります。

何がいいかっていうと...

好奇心がハンパ無く旺盛で、何かに果敢にチャレンジしたり、好きな事気に入った事には心の底からマックスで楽しんでいます。

その姿が周りに与えてくれる影響は大きくて、見ているこちらは思わず笑みがこぼれます。笑いかけると万遍の笑みを返してくれることがほとんどです。(※笑い返してくれないときは、何かに集中しているときや、別のことに興味津々な時、それか疲れて眠いときだったり...)愛嬌のある子が多い気がします。

それはそれはなかなか楽しい育児になるのですが、
では逆に、何が大変かというと...?

うちの子の場合、好奇心がとても強いので逆に言えば危険な状況にも直面しやすいということ。小さいうちは親は常に注意して見ておく必要があって、追いかけたり片付けたり、なかなかの体力気力を必要とします。あとは、成長と発育がとってもゆっくりなのでおおらかな気持ちも必要です。

「ダウン症は天使だ」という言葉を耳にしたことがありますが、個人的にはその言い方に正直抵抗があります。だって子供はダウン症に限らずみんな天使みたいにかわいいですから、ダウン症だって悪魔のようなイタズラをすることだってたくさんあります。落書き、破壊、ダダをこねる...親にとって子供はみんな悪魔と化す時がありますからね...

そして、我が子のように疾患を抱えていると専門的な医療の必要性が高く医療機関を利用する回数は多いと思います。足首が弱い子のためには専用のシューズ、目が悪い子には眼鏡を、上手に食事を口に入れられない子に専用のスプーンを...などなど専用道具が必要になることもあるかもしれません。

療育やリハビリに通う日も月に数回あったりもします。ママは仕事復帰、共働きが難しい状況に置かれる傾向にあります。受け入れOKの施設や保育園があるかどうかそれを探す事にも労力を必要とします。

 

 

生後一ヶ月後、我が子の染色体検査の結果は...

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2種類の染色体があることが判明。
その名も「ダウン症モザイク型」

目の前に2枚の紙を出されました。一枚は正常染色体が記載された画像の紙。もう一枚は21番染色体が3本写っている21トリソミーの画像が映っている紙でした。娘はダウン症かもしれない。そう思っていた方が気持ちが楽になれると夫婦で話していたため、結果がようやくわかった安堵感と脱力感に感動すら湧いてくるほどでした。

 

 

ダウン症モザイク型とは?

ダウン症には標準型・転座型・モザイク型といった3つのタイプに分けられます。

ダウン症児を出生する確率およそ1/1000(年齢によってその確率は異なります)
そのうちモザイク型である確率はわずか1〜2%(ざっと1/100だと仮定して)

トリソミーの割合が極めて少なく、内蔵などの疾患も特になかった場合、自分がモザイク型ダウン症であることを知らないまま生きている人がいると考えられているためモザイク型の確率パーセンテージが低いと考えられているのだそう...

「(その確率は)産もうとしたって産めない」と、励ましてくれた人がいました。この言葉が強く印象に残っています。

 

この21トリソミーの染色体と正常な染色体が混ざった状態。割合にしては臓器によって異なり、個人差もあり、我が子の場合は21トリソミーの染色体が全体の約2.5割程でした。この数値というのは正確ではなく、細胞を採取した部分によって数値のバラツキは出るのだそう...

20個の細胞検査と、100個の細胞検査を行いました。
20個中6個、100個中23個という数値でした。

成長するにつれて正常細胞の数の割合が増えていくと言われています。

発達に遅れが出てくるか出ないのかも未知であれば、どの機能に遅れや異常が出るのかも未知。

遅れが生じなければ普通の子と変わらない生活を送れるかもしれない。

親は不安と期待が入り交じった複雑な心境を抱えていくことになります。

 

 

なぜモザイク型になるのか...

筆者が医師から告げられたのは、遺伝的なものではないということ。
そして細胞分裂の過程で偶発的に発生したものもしくは、もとはすべて21トリソミーだったものが何かのきっかけで一部が通常の染色体に変化したどちらかが考えられると伝えられました。原因は探っても意味がないとも言われました。

ネット上の情報によりますと受精後の卵分裂の不分離によって起こるとされています。そしてやはり2つの説があるとされています。

・受精時は標準型21トリソミーだったものが途中から一部が正常に変化していったという説
・受精後の体細胞分裂の過程で一部エラーが起きたという説

ここからは筆者の憶測ではありますが、我が子は1/4がエラーだったという点では、我が子の場合は後者の説が有力なのではないか?

受精後の細胞分裂で4つに分かれる第二分裂時(4細胞期)
このときに1つだけがエラーを起こしてしまったのではないだろうか...

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http://www.san-kiso.com/sannka/ha-jyusei.html

 

調べてようやくたどりついた産婦人科の基礎知識(http://www.san-kiso.com/sannka/ha-jyusei.html)のホームページから受精後約40時間ですでにその過程に至るということがわかりました。
(※医学的に証明されたわけではありません。あくまでも個人的な調査によってたどり着いた答えです)

「いつも通りのレシピでつくったカレーなのに、今日はなぜかいつもより甘い。その理由は...糖度の高いにんじんを使ったからだった。」

そんな風に理由を見つけてすっきりしたかった。原因を探って責任転嫁したかったのかもしれません。

受精して約40時間が経過したころは、これと言って体に負担をかけた覚えがなく、自分にはどうすることも出来なかった以前に、受精した卵子か精子に問題があったか、超初期の細胞分裂が原因で、悩んだり自分を責めたりしてもどうしようもないのだから、授かった命が生まれてくることを望んでくれたということを受け入れることにしたのでした。

自分を責めることもやめにしました。

ダウン症モザイク型と診断されたら...

我が子のように大きな心臓疾患という合併症がもとで判明した場合、そのおかげでいろいろな検査やサポートなどが自動的に組み立ててもらえたという利点がありました。心疾患のみならず、発達面においての主治医がいて、定期的にフォローアップ外来を受診し、発達の遅れが気になり出した頃にはリハビリ施設へ紹介状を出して下さったり、育てのコツを教えてくださったり...生まれた翌日からの娘をずっとみてきて下さった先生です。レベルを見ながら就園就学の相談にものって下さいました。最終的な決定はもちろん親である私たちが決めることなのですが、大変ありがたく心強いサポートだと感じています。

出産入院中、身内や友人に病室にお見舞いに来てもらうこともなく、車で片道20分走らせて娘の入院先に通う日々。我が子の居ない産婦人科の病室に戻っては電気もつけずにパパと2人で泣いていました。生まれた直後くらい出産祝いムードを味わいたかった...というのも本音ではあるのですが、

出産した産婦人科の先生が異常に気づいてくれたおかげで今の娘の命があると考えると、やはり少しでも早く病状を把握出来ることはありがたいこと、むしろ運がよかったとさえ今は思えます。

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もし、成長していく過程で、かかりつけの小児科の先生や市の健診などで指摘されたというケースだとしたら、そのときのショックはやはり大変大きいと思います。

我が子が生まれた翌日に染色体検査を勧められたときは、正直...断りたい気持ちでした。
自分が障害児の親になるということを受け入れられる自信がありませんでした。

毎日、酸素保育器で生きようとしている我が子を目の前にしていると、授乳、搾乳の練習をしていると、家に連れて帰れない我が子が愛おしくて、会えない時間が寂しくてたまらなくて。

入院中に徐々に母性が育まれて来ました。一緒に成長していけばいいんだ。私も母としてまだスタートラインに立ったばかりだから。

必要な医療や療育を受けさせて、たくさんの愛情を注いであげたいと思うようになりました。

 

そして、パートナーは絶対に必要だと思います。

信頼関係の築けている方であれば夫婦だけに限らずです。

子供の障害を理解しようとしないパートナーは問題外ですが、

辛くなった時に、相談できる、寄り添える人、力になってくれる人が絶対に必要だと思います。ママ一人が抱え込まないように...。

離婚してもその状態が保てるならいいと思いますが。

ご夫婦でしたら、難しい状況もあるかもしれませんが、子供の親は父親と母親二人であることをお互いが忘れてはならなくて。

我が家は、ほぼほぼワンオペ育児ではありますが、父親が居ると居ないとでは家族の生活は大違いだということが予測できたし、離婚危機もたくさんありましたが、時間をかけて話し合って来ました。決して夫婦円満だったわけではありません。夫が借金してたり、隠れてギャンブルしてたり、いろいろありましたが、時間をかけて築いてきました。子供のこととなると一致団結出来ることが多いので、夫が強い味方になってくれることもありました。この先何が起こるかわかりませんが、出来ればこれからも育児の問題は夫婦で一緒に乗り越えて行きたいと思っています。

 

モザイク型の成長

新生児から乳幼児期はとにかく良く寝る。あまり泣かない。将来への不安を除いてはとても育てやすい子でした。

乳幼児期はこれといって他のお子さんとの差はさほど感じませんが、近い将来、遅れが出てくるかもしれません。遅れがあったとしてもゆっくりゆっくり着実に成長します。本当にゆっくり過ぎてこちらはしびれをきたしてしまいそうになることもあるかもしれません。

だから親である私たちは焦らずに構えていられる体勢を整えていきたいですね。

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我が子は愛嬌があって、変顔が好き。よく鏡を見ながらいろんな表情をつくって楽しんでいました。

歩行ができるようになったのは1歳7ヶ月のときでした。

まわりと差が大きく出始めたのは2〜3歳頃
発語の問題。排泄の問題。まわりにどんどん追い越されて...

母一人では限界があると考え始めたのはその頃でした。
個人差はあると思われます。

そこから作業療法というリハビリを開始しました。
リハビリ施設の主治医からは新たな病名を言われます。

広汎性発達障害(こうはんせいはったつしょうがい)
娘は自閉傾向にある...と。

こういった傾向がないお子さんでしたら、もっと成長は著しいのでしょう。

3歳になる年、「幼稚園に入園するのは、今はまだ他のお友達についていけなくて本人も親もつらい思いをするかもしれません...」とフォローアップ外来の主治医に言われたことがきっかけで、就園を見送る決心をします。

そして発達遅滞のあるお子さんが通う児童発達支援施設のデーサービスを利用し始めました。
週に2日程の利用でしたが、その教育熱心な施設の先生方のおかげで娘は少しずつ成長を遂げ4歳5ヶ月にオムツを外すことにもようやくようやく成功しました。

年中さんになる年に保育園の入園が内定しました。
2016年4月から児童発達支援施設と保育園を並行通園することになりました。

面接時は我が子の発育に関する情報をまとめて書類を作成し、保育園の園長先生にお話しました。
児童発達支援施設の先生方にお願いして、娘が集団生活がどの程度出来ているのか、注意点などを書面にまとめていただき、それも保育園の園長先生にお渡ししました。

必要であれば加配も申請し、療育手帳も取得する意向があることも伝えたところ、加配は申請することに決まり、療育手帳を申請することに決めました。

就学は大きな壁でした。
娘の場合、療育手帳取得のためのテストを受けた際のIQから考えますと、地域の小学校の支援学級に入学するか、支援学校に入学するか、どちらかでかなり迷いましたが

2018年、小学校の支援学級へ入学しました。

 

 

ダウン症の会に入るべき?

我が子が1歳を過ぎた頃。ダウン症のお母さん方が集まるコミュニティーに参加してみる?とある看護士さんから言われたことがありました。

娘の担当だった別の看護士さんいわく、親の会に入ると母親が板挟みになって苦しい思いをしてしまうかもしれないと。そして主治医からも親の会に入ることはおすすめ出来ないと言われました。その理由は発育状況からして、標準型ダウン症のお子さんとは比較にならないため周りから浮いてしまうでしょう...とのことでした。

ダウン症なんだからグループに入ればいいのにという意見とそうでない意見があり、

親の会に入って何をするんだろう?

もしその親の会が自分に合わなかったら抜けづらいんじゃないか?

その気持ちもあったせいか、医師や担当の看護師の言葉に正直ホッとさせられたわけなのですが。あくまでも我が家の場合です。

 

入ったらもしかしたら気が合う親御さんと知り合えるかもしれません。でも、モザイクって言うだけで話が合わなかったら...余計に気を使う場になってしまうかも。そこに入らなければ欲しい情報が手に入らないというなら話は別ですが、同じような思いを共有したいという願いは叶わないかもしれません。

標準型ダウン症のお子さんと比較すると(パーセンテージにもよりますが)モザイク型の成長は早い傾向にあります。
標準型のお子さんを育てている親御さんの方がより時間を必要とするという点での大変さがわかります。

でも、健常の子供と比較するとはるかに遅いと感じるのがモザイク型。
モザイク型の親御さんの辛さは障害児と健常児の狭間で揉まれるところににあり、常にどちらの道を選ぶべきか、幾度となく選択に迫られることでしょう。

結局は人それぞれで...
親の会に必ず入らなければいけないわけではないです。

 

居場所がない?

ダウン症の親御さんとも健常な子供の親御さんとも交流を持てない?

健常のお子さんを持つ友人とも交流がありますが、かつては子供同士の成長に差が開き始めると育児を悩むポイントにズレが生じてきました。

さすがに娘が4歳になってもオムツが外れないことや言葉が増えない、就園を見送った...という事態までいくと、優しい友人たちは我が子のそれについては触れないようにしてくれているのがわかるのです。

本当はもっと違う話題も話したいはずなのに...なんだか申し訳ない気持ちになってしまうことがありました。考え過ぎとも言われてます...

育児サークルや、絵本の読み聞かせに連れて行っても娘はおとなしく座っていられず、興味のあるおもちゃに突進していきました。これはダウン症モザイク型だからなのか、自閉傾向があるからなのかわかりませんが、抱っこして引き戻そうとすると泣きわめき、何が何でもこのおもちゃで遊びたいんだー!と言葉は出ないので身体をバタバタさせて猛アピールされました。さすがに、ちゃんとママの膝に座っておとなしくお話を聞く子供達が娘よりも1歳も2歳も年下だったと気づいたとき、参加するのを止めてしまいました。筆者はメンタル弱い方かもしれません。

モザイク型の我が子と親はどこで交流の場を持てばよいのか...

筆者の行き着いた先は娘が通う児童発達支援施設の軽度発達障害や発達遅滞のお子さんを持つ親御さんとの交流の場でした。皆さんのお子さんはそれぞれの障害を抱えていて、黒なのか白なのかグレーなのかはっきりしない境目で揉まれている。その苦しみをようやく分かち合うことができるようになって、気の合うママ友も出来ました。

ダウン症のお子さんを持つお母さんとも話をする機会も持てるようになりました。敢えてダウン症に話題を出す必要はないということにも気づきました。育児の大変さ、就学への不安ですとか、面白いこと好きなこと笑える話...話せる事はこんなにもたくさんあったんだと気づきました。

そして、いつも見ている愛娘に似たところがあるダウン症のお子さんを見ると愛おしくてたまらないって思うようになったことには自分でも驚きでした。今はその特徴に愛着を持ち、ようやくですね。ようやく受け入れることができるようになったのかもしれません。

壁を作ってしまうのはやはり大人である親の心の問題ですね。

 

 

子供はみんなボーダーレス

よっぽど内気な性格ではないかぎり、誰とでも遊ぼうとする。
ダウン症とかモザイク型なんて知らないし、そんなの関係ない。

ほんとうに子供ってすばらしい。

時には残酷なこともありますが...

言葉が上手く話せなくても遊べる。
気が合うかどうかは性格の問題。

娘が年少から児童発達支援施設に通い出し半年が経った頃、お友達の名前を話してくれるようになりました。園が発行している写真付きのおたよりを見せると、お友達を指刺して「○○くん」「○○ちゃん」と言うようになりました。そのほとんどがダウン症のお子さんだったので、もしかしたら何か通じる物があるのかもしれないねって主人と話しました。

単独行動ばかりが目立つ娘は保育園ではひとりで砂場遊びをしたり、一人でもくもくとブランコをこいでいたり、先生の名前もお友達の名前も口にするようになるまではだいぶ時間がかかりました。

先生が娘の扱いに困惑していないか、娘は先生の言うことをちゃんと聞いているか、しゃべれないことでお友達に悲しい思いをさせたりしていないだろうか...

気になるところだったので、そこは保育園の先生と何度もやり取りを重ねました。特別扱いは不要だけど、配慮がなければ適応できない場面があるということ。やはり暴走してしまうこともあるようで、やり取りは定期的に重ねていく必要があります。

保育園に入園して約3ヶ月が過ぎたころ...保育園お友達の名前をやっと口にするようになりました。保育園の先生の名前も呼び始めました。登園するとお友達が娘の名前を呼んでくれたりして、少しずつ輪の中に溶け込んでいきました。保育園では下の子に世話を焼かれていたりもするのですが、児童発達支援施設では娘が小さな子のお世話をするときもありました。

保育園入園から1年が経つと周りの年下のお友達がどんどん娘を追い抜いて...お兄ちゃんお姉ちゃんになっていき、お友達が娘の扱いに慣れてくれた様子...。

娘なりにもできることがたくさん増えてお姉ちゃんぽくなってきています。幸いなことに保育園に行きたくないと言うことは滅多になく、娘は毎日とても楽しそうに過ごしています。いろいろな経験とたくさんの人の力添えによって娘がここまで成長することができたんだと感謝の気持ちでいっぱいです。

 

発達について

弟は2歳7ヶ月、姉(モザイク型)5歳の時に、2人の発語レベルがほぼ同等でした。

弟が3歳6ヶ月、姉がもうすぐ6歳と言う現時点では、弟の方が上手にいろんな言葉を話せるようになっています。弟の言葉をお姉ちゃんが真似して見たり、時には弟がお姉ちゃんに言葉の間違いを指摘したりなんて姿も見られます。

染色体全体のうち1/4だけが21トリソミーとはいっても、我が子の場合は発達面での遅れは顕著に現れています。(同じくらいの割合でも個人差はあるのでしょうが。)2歳、3歳の女の子って早い子はとても上手にお話が出来ます。そのようなお子さん達と比較すると、差が歴然だったりするのです。

最初はもう少し言葉が話せるようになるだろうと憶測で考えていました。1/4という比率なら、もっと正常染色体の方が優位に表に出てくるのではないかと想像していました。たとえ勉強ができなくても、小学校に入学してなんとかお友達の輪に入っていけたらいいなあと想像していたのですが、

現在、作業療法や言語療法などのリハビリも受けてはいますが、就学を目前に控えた来年は地域の小学校に入学するべきか、特別支援学校に入学すべきが、現在は50:50というのが正直なところです。

子供に合った学校を選んであげられるよう、現在勉強会や学校説明会、プレスクールなどに参加しています。

就学について

2018年4月 娘、就学しました!
就学先は小学校か?支援学校か?【モザイク型ダウン症】娘入学しました!

海外にはMOSAIC DOWN SYNDROME.COM
(http://www.mosaicdownsyndrome.com/)や、
International Mosaic Down Syndrome Association(www.imdsa.org)
といった専門サイトがあります。

MDS(モザイクダウンシンドローム)の子を持つ親が立ち上げ、運営管理されているようです。世界各地から同じような境遇の親達が情報をシェアしています。

 

今後もMDSについて連載していきたいと思います。

【モザイク型ダウン症】娘が0歳のときの成長記録

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